永楽(えいらく)

内容説明

伝統画風永楽を紹介するための画像です-アップで撮影しています
永楽

【内容説明】

永楽(えいらく)

 

伝統画風「時代絵」のひとつ

永楽和全による京焼金襴手手法で全面を赤で下塗りし、その上に金のみで彩色した豪華けんらんな作風とともに、京焼風な洗練された美しさをみせています。

製品の特徴

絢爛豪華なやきものです。飯田屋は白地に赤絵ですが、永楽は赤字に金彩です。木米も赤地(他の下地もある)ですが、唐人物や仙人を上絵具で描くのに較べ、永楽は金絵具で描きます。龍や鳳凰などが多く唐草文や瓔珞文で装飾しているイメージです。

お正月の蓋物や、酒器(徳利・盃)などに描かれていると、縁起が良い感じがします。

詳細説明

 

【詳細説明】 

九谷永楽(くたにえいらく)

加賀国江沼郡山代村 (石川県加賀市)に来た十二代永楽和全の窯をいう。

安政・文久(1854~64)の間に山代村の宮本屋窯が廃窯に瀕した時、大聖寺藩物産役所は三藤文次郎などにこれを管理させた。また1866年(慶応2、一説には翌年) 京都から和全および義弟の西村宗三郎 (回全)を招いた。和全は初め山代村の春日山に陶窯を築き、伊賀・南蛮・朝鮮写しなどの陶器をつくり、「於加陽山代春日山永楽造」「於春日山善五郎造」「於春日山永楽」などと釘彫し、または「永楽」の印を捺した。のち同村越中谷窯場に移り磁器を製造。

その作風は京都での和全の作振りと同じで、金襴手・呉須赤・安南・絵高麗・染付などから和全特有の紗文手・黄交趾に至る各種のものを出し、 京都と同じく「永楽」 および 「河浜支流」の刻印を捺した。またたいてい「於九谷永楽造」と製品のいずれかに黒で書き、緑色で文字の上をとめている。さらにまた「和全」を一つに組み、花押のよう に書いたものもある。また山代村における箱書の特徴は、善の字の口がほとんど一の字のようになり、五の字は不の字に近く、また郎の字に特徴のあるものが多い。明治の改革にあたり1871年(同4年) 和全は愛知県岡崎に去った。 山代窯はその後塚谷浅・大蔵清七の経営となる。

永楽和全が山代窯にいたのはわずか五ヵ年にすぎないが、九谷焼の素質・形態・修飾の進歩に寄与するところは非常に大きく、その「於九谷永楽造」の銘款は、後世加賀各地の陶工の模倣するところとなり、ついに九谷焼という総称を生む機縁となった

(『九谷陶磁史』)