といってもドラマチックな話ではありません
小さな頃からウチはなんで「ちゃわんや(茶碗屋)」なんだろうと不思議に思っていました。ともだちに聞かれても説明できないですし、時代遅れだし、正直よくわからない商売だなと思っていました。
そんな時、たまたま本棚にあった古い本をパラパラ読んでいたら、ご先祖様のことが書いてありました。
どうやら奉公先を逃げ出して、九谷焼業界に逃げ込んだらしいのです。
なぜかわかりませんが、この本の作者は、ずいぶん詳細にご先祖様のことが書いているではありませんか。
ようやく納得がいきました。
奉公先での御縁がいまにつながると思うと感慨深いと共に微妙な気分になります。
(ご奉公先のご主人(田中さん?)も「埴田の虫塚(はねだのむしづか 小松市指定文化財)」建立して、良さげな人みたいだし・・・。どうもすみません。)
暇つぶしに読んで頂けれは幸いです。
埴田の太吉 (山元太吉)
太吉は子どものころ、 十村役田中勘太郎のところへ子守り奉公にでた。 子守りだけでなく、 家の中やめぐら(家の周囲)の掃除もさせられた。
そのころ、 前田殿さま(加賀藩12代藩主 前田斉泰公)は下じもにも焼物の製造をすすめていた。下じもといっても、 いわゆる土百姓ではなく、役人くさい連中に教えたのである。 隣村三宅野(みやけの)の十村へも、お庭窯の先生が藩の命令でやってきた。
太吉は背中にねんねをおんぶしながら、まき割りをやらされた。おかげで焼物作りの様子をつぶさに眺めることができた。 子守り奉公よりも焼物作りの方がずっと面白いなあと思った。
そこで、主人に暇をくれと願いでた。 しかし、いくら頼んでも暇はもらえない。とうとうしびれを切らして十村役の家から逃げ出て小野窯の手伝いをすることになった。経営者塚野善太夫のころである。ここで4年間陶工見習いの修業をして本江窯へ移る。
本江での働きぶりは抜群で、たちまち親方の信頼をえて、釉薬の調合まで教えてもらえるようになった。その後さらに9ヶ年も小松の窯元松村屋で研究を重ね、ついで佐野の斉田伊三郎の要請で、中川源左ヱ門らと協力して佐野窯の築造に従事していたりして5ヶ年間も滞在した。
そのうち、 生まれた在所埴田へ帰って独立しようと願い書きを十村へ出した。 しかし、なかなか許可が下りない。 当時は年令30才にならなければ営業許可は下りないのだが、太吉はすでに30才をとうに越している。太吉はみずから十村役へ頼みに行った。
ところが、お前のような奉公先から逃げて出た者はだめだとのことである。 太吉はそこで直接寺井の役所へ直訴したのである。寺井の役所へは太吉の出した願書は出ていなかっ た。 十村役は太吉の出した願書を破って捨ててしまっていたことがわかった。 十村役は役所から大目玉をくらった。
このようにして、ようやく自力で営業できるようになったのは、太吉38才の文久3年であった。
めでたしめでたし
九谷焼とは、石川県南部の加賀市,小松市,金沢市,能美市で生産する陶磁器です。 伝産法に基づく伝統的工芸品に指定されております。
17世紀の半ば頃、大聖寺藩(石川県)の領内にて、良質な陶石が発見されたことにより、藩主前田利治公の命によって磁器の生産が始まりました。
陶石の産地となった九谷村に、磁器を焼くための窯を築いたことで、その地名にちなんで「古九谷」と呼ばれました。 古九谷は加賀百万石文化の、大らかさときらびやかさを合わせ持つ、独特の力強い様式美を作り上げましたが、17 世紀の終わり頃、突然作られなくなってしまいました。廃窯の理由は諸説ありますが、真相はいまだ謎に包まれております。
その後、19世紀に入ると再び九谷焼が焼かれるようになり(再興九谷)、木米風、吉田屋窯、永楽窯等数多くの窯が特有の画風を作り出し、現在に至っております。
引用元
・伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)について
「一定の地域で主として伝統的な技術又は技法等を用いて製造される伝統的工芸品」の「産業の振興を図り、国民の生活に豊かさと潤いを与えるとともに地域経済の発展に寄与し、国民経済の健全な発展に資することを目的」としています。
伝統的工芸品は、我が国の伝統的工芸品産業は、伝統的技術・技法を伝承するとともに、国民生活に豊かさと潤いを与えてきた産業であり、地域の資源・技術を基盤に、もの作り産業を形成し、長い歴史・風土の中で培われ、地域経済の発展と、雇用の創出に貢献しています。
このため、経済産業省の支援は、その文化性に着目した技術・技法の保護・保存をすることのみを目的とせず、伝統的工芸品産業を産業活動として維持・発展することに主眼を置き、支援を行っています。
工芸品の産地組合等からの申請に基づき、指定要件を満たすものを経済産業大臣が「伝統的工芸品」として指定します。指定を受けた産地では、振興計画を作成して経済産業大臣の認定を受けた後、その振興計画に基づいて事業を行うのに国から補助を受けることができます。